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水晶万年筆 [books]

七並びの日に、1000記事目。
年に一度会うかどうかという人に以前贈った本。


水晶万年筆(吉田篤弘 中公文庫)

水晶萬年筆 (中公文庫)

水晶萬年筆 (中公文庫)

  • 作者: 吉田 篤弘
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2010/07/23
  • メディア: 文庫


デザインはもちろん、クラフト・エヴィング商會。
本文のフォントも好みで、読みやすい。
初出は朝日新聞社の小説トリッパーで、2005に同社から刊行され、
加筆修正して中公から出た、6話の短編集。
物語の人物に繋がりはないが、単行本タイトルは「十字路のあるところ」。
東京に実在する路地を元に書かれたものであると、あとがきにある。

一話目「雨を聴いた家」
記憶とSに流されるように移り住んだ、梯子橋という名のまち。
物書きの私は、車掌と呼ばれる大家のもとで暮らし始める。
何を商っているのかわからぬ店、謎の蛇口、町の底の甘い水。
うどん屋とカフェーの常連となり、消えた雨合羽屋の娘の噂を聞く。


 フェーと伸ばすところに年季を感じるものの、クラシックな布張りのソファーに身を沈め、心置きなく「フェー」と息をつけば、単調な一日に句読点を打つ心地になる。
(「雨を聴いた家」より)

二話目が表題作。
オビタダという名の絵描きが、住み始めた町に馴染んでいく。
銭湯に通い、奇抜な服屋で服を買い、おでん屋でがんもどきを食べる。
おでん屋の女性の父も絵描きで、唯一残っているのが銭湯の絵だったと知る。

三話目「ティファニーまで」
研究室で新語を作っている私と助手は、毎日洋食屋でランチを食べる。
坂の上の洋食屋ティファニーへ行く途中、寄り道をして時間を喰う。
さらに、駐車場でヘップバーンの幻覚を見てしまう。


 私はいつでも日常の中に非常口を探し、扉の向こうの知らない世界を夢見ていた。しかしだ。いざ別世界に参入してみると、その途端に帰り道を探している。
(「ティファニーまで」より)

四話目「黒砂糖」
世界唯一のファンファーレ作曲家の弟子が、夜道に種を撒いている。
黒い上着のポケットに黒砂糖を入れ、愛好していた師匠の遺志を継承して。
夜が好きだった師匠の言葉を反芻しながら歩くうち、もう一人の弟子と会う。


「いかにも。正確に言えば、すぐそこにある見慣れたものが、突然、姿を変えてみせるのが『驚き』だ。夜はそれを教えてくれる。そして何かが姿を変えるたび、夜は優しげに膨らむ」
(「黒砂糖」より)

五話目「アシャとピストル」
買えないものを売ろうと思いついたアシャ。鴉を射つ、と書く文字の化身。
オーシンイやヨコバイと話をしながら過ごしている。
住んでいるアパートの天井裏にピストルが隠されている。
長いトンネルに幻の十字路を夢見て、かつ怯えている。

最終話「ルパンの片眼鏡」
怪盗稼業から足を洗った、ルパンと呼ばれた老人を師匠とした僕。
探偵小説研究科を目指している僕に、師匠は盗りたいものがないという。
そのかわり、街の洒落たものを返していって、五目チャーハンを喰らって、
潔く向こうへ行きたいと願っていたが、突然いなくなる。

あらすじを書こうとすると、ただただ謎の話にみえる。
取り立てて目立つ台詞や描写があるわけではなく、淡々としている。
物語の筋も際立つ変化はないのに、振り返ると緩く起伏があって、
気付けば遠い場所に立っているという、不思議な読後感。
すべての言葉に意味があるような、ないような。
意味なんか、どうでもいいような。

実在の場所から着想を得ているだけあり、地盤が安定している。
朔太郎の猫町に近い、白昼夢のような浮遊感が話に緊張と弛緩を与える。
見ているようで、実は何も見えていない、町の横顔。裏側。
教えられて初めて気づく、当たり前の景色。

登場人物はよく散歩をしている。
歩きながら考えて、立ち止まって話をし、またどこかへ向かう。
何もない街はなく、そこら中に物語が転がっている。
それ以上突き詰めると陳腐になる、そのギリギリで終わるあたりもいい。
唐突に出てくる食べ物もいい。師匠と弟子などという古風な設定もいい。
何だか知らんが居心地がいい物語。
師匠と暮らす女性が作るという甘酒を飲んでみたい。
星4つ。

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